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2025/08/13 18:31

連歌師、看松斎と号す。

 

細川幽斎の門人とされている。

 

近衛信尹に古今伝授をうけ、法橋となる。

 

京にすみ、伊達政宗につかえて連歌をおしえた。

 

京師にあっては、秀吉の方から兼與の宅に足を運んだという。

 

江戸では秀忠から屋敷を賜った。

 

連歌師として常に京に在住し歌道を似て貴顕に屋敷に出入りし、京に上がった人があればその間を周旋したりしたりした。

 

京の動静を探る伊達家の情報機関の役割も果たしたようである。

 

初め歌会にて政宗と出会ったが、そのお互いの才能に惚れ仲良くなったのか。

 

京に有力な人脈があり、情報が自然と集まりそれを政宗が利用しようとしたのか。

 

政宗は京、大坂にあって何もしていなかったわけではない。

 

歌、茶、漢詩などで人脈を大いに築いたと思われる。

 

天下の形勢が変わるのを予測していたのか、58万石での限界を感じたのか。

 

勉強熱心というか、したたかというか、やはり抜け目ない男であった。

 

猪苗代兼與は猪苗代盛国と関係はあるのでしょうか?



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