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2025/08/14 16:20
鎬藤四郎の短刀は非常に変わったつくりこみをしているという。 指表(腰に差して外側になる方)を鎬筋のある菖蒲造りという造りこみ。 菖蒲造りとは菖蒲の葉の形に似ているからだと思われる。 指...
2025/08/14 15:02
初め越前。 大条参河宗家の次男。 慶長二年に百貫加増され丸森城に居住した。 嫡子、元頼に家督を譲ったが再び高野、丸森に七十貫をもらい国老に命ぜられた。 理由はわからないが政宗より厚...
2025/08/14 12:38
初め太郎左衛門、勘解由左衛門、最後は簾也斎。 祖は西国の多々羅氏で大内氏とは同族との話もある。 佐竹、葦名、伊達に挟まれ、去就反復を繰り返すが、最後は伊達の家臣となる。 政宗が当主にな...
2025/08/14 12:06
初め文七郎。 遠藤基信の嫡子。 十七歳で家を継ぎ政宗に仕えて宿老となる。 天正十六年の佐竹・葦名連合軍との戦いで富塚近江と共に塁を守り、佐竹・岩城軍が田村侵入をした時に田村城を守った。&...
2025/08/13 18:48
弾正。もと会津葦名氏の一族。 佐原十六郎右衛門平義連の嫡子、経連より出る。 経連の子孫は猪苗代に居て、猪苗代と名乗る。 盛国は会津合戦の直前に葦名氏を叛き、伊達成実の家臣、羽根田直景を...
2025/08/13 18:31
連歌師、看松斎と号す。 細川幽斎の門人とされている。 近衛信尹に古今伝授をうけ、法橋となる。 京にすみ、伊達政宗につかえて連歌をおしえた。 京師にあっては、秀吉の方から兼與の宅に足...
2025/08/13 18:12
初め金四郎、新左衛門、のちに肥前。 伊東肥前と呼ばれる。 藤原鎌足三十三世孫で伊達持宗以来の世臣。 人取橋の戦いでは侍大将を命ぜられ高倉城を守る。 みずかららも敵二騎を討ち取る活躍...
2025/08/13 16:36
はじめ助太郎。 のちに安芸で藤原姓。 式部大輔景時の時に晴宗に仕え家臣となる。 景時の長子、光時は天正十年に相馬氏と戦い戦死。 次男、重光が家督を継ぐ。 政宗の代に一家に列せら...
2025/08/13 16:03
興純(おきずみ)。は伊達氏の祖・伊達朝宗の四男、為家の末裔と伝えられる武将で、伊達郡霊山を拠点としていた。十四、五歳の頃、伊達政宗が伏見滞在中に仕官し、やがて近習として仕えるようになる。伏見時代の...
2025/08/13 15:44
幼名は次郎。 従五位下大和守。 伊達晴宗の第四子として生まれ、磐城石川郡石川晴光の嗣子となる。 晴光の晴は足利義晴から拝領している。 昭光の昭は足利義昭から拝領している。 石川氏は...
2025/08/13 15:22
はじめ宗重。兵庫、安房と称し老いて日傾斎と号した。藤原姓、鮎貝定宗を似て祖とし、羽州置賜郡鮎貝城に住む。 定宗の子兵庫頭盛宗が晴宗に仕えその嫡子が盛次である。 天正15年、最上義光の勧めで嫡...
2025/08/09 14:27
伊達家と芦名家は度々干戈を交えているが重縁で結ばれている。 伊達稙宗の正室は芦名盛高の娘で晴宗を生んだ。 伊達稙宗の娘は芦名盛氏へ嫁ぐ。 晴宗の娘は芦名盛興に嫁ぎ、盛興が早世後は芦名盛...
2025/08/09 13:58
伊達家には数種類の家紋がありますが、もっとも知名度の高い家紋といえば『竹に雀』。 仙台のお土産やバス停の屋根などに画かれています。 この家紋、もともとは上杉家から拝領したものです。 そ...
2025/08/09 13:40
あの伊達政宗にも初陣はあった。 伊達政宗の初陣は天正9年の事であった。 敵は宿敵の相馬氏である。 天文の乱を境に伊達と相馬は領地を奪い合いようになる。 この戦は伊達成実も初陣であっ...
2025/08/09 13:18
芦名義広といえば摺上原の戦いで伊達政宗と戦った戦国大名だ。 この芦名氏は鎌倉時代から政宗に滅ぼされるまで会津に本拠を置く奥羽の大大名であった。 芦名盛氏の時に最盛期を向かえ、隣国佐竹、上杉...