BLOG
2025/10/01 16:37
大内定綱の弟。 安積郡片平、現在の郡山市を居とし片平を称した。 天正十七年に兄、定綱とともに伊達家への奉公を許さ五十貫の知行をもらう。 摺上原の合戦では兄、定綱とともに旗本隊の左右に陣...
2025/10/01 16:25
筑前。 天正十六年大崎の役にて軍奉行として出陣。 大崎の本拠地、中新田城を攻めたが降雪と黒川晴氏の裏切りにより伊達勢は敗れる。 松山城まで撤退し、最後まで抵抗する。 この時頼定は殿...
2025/10/01 15:35
中国の五代後唐の始祖李克用は片目で武勇に優れ独眼竜と呼ばれた。 また彼の軍隊は黒い衣を着用していたので鴉軍と呼ばれ怖れられた。 この李克用と共通するところから政宗は独眼竜と呼ばれるようにな...
2025/09/24 15:55
日本全国、約三百諸侯と言われる大名の中で御三家は別格として、一国以上の所領を持っている大名を国持大名と呼ぶ。 室町幕府の国司、あるいは守護と同じ格付けでそれ以外の大名は城主大名と呼ばれる。 ...
2025/09/24 15:48
政宗は42歳にして従4位陸奥守となり、二代将軍秀忠から松平姓を許された。 これまでの政宗の官位、官途は・・ 従五位左京太夫⇒侍従兼越前守⇒従四位右近衛少将兼越前守⇒右近衛少将兼陸奥守。 こ...
2025/09/24 14:41
仙台大橋を渡り目指すは三の丸。現在は仙台市博物館がある付近です。けっこうな登り坂です。途中仙台市博物館側にある石垣子門(ねのもん)がここにあったといいます。三の丸北側の堀堀跡の案内図 幕府へ提出し...
2025/09/09 16:32
大手門から左に登っていくと中門跡が見えてくる。最近の写真がなかったので、震災当時の中門跡。大手門から本丸へ登る道の途中に設けられた門。 二階建瓦葺の建物で寅門とも呼ばれていました。大正まで残っ...
2025/09/09 16:12
三の丸から隅櫓大手門方面へ当時は全国でも屈指の大きさを誇った大手門がありました。幕府などの正式な使者はこの大手門から入場するそうです。あの松尾芭蕉が大手門から入ったという目撃情報もあったようです。...
2025/09/03 22:32
ついに本丸へ。 巨大な石垣が見えてきた。この石垣の上にどんな櫓がのっていたのか。 石の大きさは盛岡城のほうが大きいが高さは江戸城並みか。 仙台城は南に竜ノ口渓谷、東は広瀬川、西に青葉山...
2025/08/23 16:34
本丸の北側石垣を見ながら清水門へ向かう。本丸➡北側石垣➡下って清水門➡御用酒発祥に地➡巽門➡長池ルート。下から見ると高い石垣。どんな櫓があったのか?この石垣は政宗が連れてきた穴太衆が積み上げたのか。今の...
2025/08/23 13:52
いざ。本丸北側から登り、本丸へ。 どちらかというと後ろ姿のほうが好きですね。漢の背中。竹に雀が入ってます。大手門復活もいいけど本丸懸造の復活もよい。清水の舞台のようになると名物になる。この絵図...
2025/08/22 21:06
江戸時代、正宗といえば名刀、名刀といえば正宗と言われるほど正宗大ブームが起きた。 諸大名はこぞって正宗を差し料にした時期があった。 そんな時、ある大名が江戸城中にて伊達政宗とすれ違った。&nb...
2025/08/22 21:01
織田信長、豊臣秀吉ら天下人がもった刀は御物と呼ばれるそうです。 鶴丸国永は京都の鍛冶、五条国永の太刀だ。 名物、鶴丸の太刀は刀長は実測78.6センチ、反りが2.7センチあった。 後北条...
2025/08/18 16:38
はばきとは刀身の区際にはめて、鍔の動きをとめ、刀身が鞘から抜けないようにするものだそうです。 このはばき国行ははばきの部分に表に国、裏に行という字が透してあったのでこう呼ばれている。 この...
2025/08/18 15:34
伊達政宗はどんな刀を愛用していたのか。 政宗が手にした名刀は中央政権に進出してか入手したものが多い。 政宗が好んでもった刀は四振ある。 くろんぼ切景秀、はばき國行、亘理来、鎬藤四郎の脇...















