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2025/08/14 16:20

鎬藤四郎の短刀は非常に変わったつくりこみをしているという。

 

指表(腰に差して外側になる方)を鎬筋のある菖蒲造りという造りこみ。

 

菖蒲造りとは菖蒲の葉の形に似ているからだと思われる。

 

指裏は平造り(刀と棟の間がほぼ平面になっている)になっている。

 

、刀は指表と指裏はともに同じ造りこみになっている。

 

しし、この短刀は指表と指裏は同じ造りこみになっている。

 

指表に鎬があるので鎬藤四郎と呼ばれるようになったと推測している。

 

この短刀は秀吉がなくなった慶長三年に形見わけで政宗に与えられた。

 

この短刀は天下の名物とされ毎年元旦には伊達家当主が桐と菊の紋の白綾の小袖に長袴をはき『鎬藤四郎』を腰に差すのが恒例の行事であった。

 この事は天下に知られていた為徳川将軍家は内々に鎬藤四郎を所望したが政宗はこれだけは進上できないと断っている。

  

秀忠の治世で土井利勝、内藤正重らが政宗を訪ね、将軍が鎬藤四郎を所望しておるので献上されたしというと政宗は烈火のごとき怒った。

 

『将軍家への献上する品は献上する家臣が決めることである。』

 

『それを将軍家の方からあれが欲しい』

 

『これが欲しいと家臣にねだるとはなんたること。』

 

『もしそれが誠なら将軍家の威信にかかわることであるぞ』

 

と一喝した。

 

利勝と正重はなにも言えなかったという。

 

政宗が幕府へ出した城普請の許可がなかなか下りなかった。

 

嫡子忠宗に鎬藤四郎を献上すれば許可が下りると言っていたので、献上するとすぐに許可がおりたという。

 

この鎬藤四郎は桐紋蒔絵二重短刀箱が一緒についていたが、将軍家へ献上する時この箱は献上しなかったらしい。

 

この箱はしばらく伊達家にあったが、戦後山形庄内藩の豪商本間家へと渡った?

 

現在はその美術品がある本間美術館に所蔵されている。

 

写真はこちら

 

蒔絵二重短刀箱 内箱桐繋 外箱歌所菱

 https://www.homma-museum.or.jp/collection/

 

豊臣秀吉の遺品として、伊達政宗に贈られた藤四郎吉光作の短刀を収める為に作られたもので、長方形の内箱と外箱の2箱で1組となっている。

 蒔散らしの技法による入念な作風。

 外箱の舶載された織物文様から着想を得たかと思われる異国風な意匠などに桃山時代の感覚を示す優品である。また内箱の和風意匠との対称も絶妙で見所となっている。

 短刀は伊達家2代伊達忠宗より三代将軍徳川家光に献上、後に明暦大火で失われ、短刀箱のみが伊達家に遺された。

 

後、本間家を経て本間美術館の収蔵となった。

 現在、東京国立博物館に寄託中。

 秀吉も非常に気に入っていたものであったらしい。

 

形見分けでこんな名物をもらえるなんて政宗はなんだかんだ言いつつも秀吉に好かれていた?

 

深読みすると秀頼を頼みますという事か。

 

出来れば三成らとうまくやって豊臣の繁栄に協力しろとの事か。

 

この短刀も現存していません。

 

あれば相当の美術品になっていたでしょう。

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