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2025/08/23 16:34

本丸の北側石垣を見ながら清水門へ向かう。
本丸➡北側石垣➡下って清水門➡御用酒発祥に地➡巽門➡長池ルート。

下から見ると高い石垣。どんな櫓があったのか?
この石垣は政宗が連れてきた穴太衆が積み上げたのか。今の八幡町に穴太衆が住んだようです。
この石垣の高さは藤堂高虎の今治城よりも高く17mほど。高松城でも13m、大坂城には及ばないようです、
が、62万石には少々大きすぎる気がします。

坂道を登ってくる敵兵へここから火縄攻撃をするのであろう。
先鋒をやる大将はほんとうにいやだろうな。


三の丸方面へ続く道。下りが少し急な感じだ。

清水門の野面積みが見えてきました。

右と左で積み方が違うので、地震で崩れた後に積みなおした?

清水門と呼ばれる理由にきれいな泉がある。水源もあって籠城は可能だと思う。

最近の研究では巽門が本丸登城へのルートであったとする説が出てきています。
松尾芭蕉は大手門ルートで登城したといいます。

仙台藩御用酒発祥の地。柳生宗矩の名前が見える。仙台城築城後は宗矩が伊達家の交渉役だったと思われる。
柳生新陰流兵法では政宗の剣を奪う作戦に出る。政宗VS宗矩。晩年の好敵手はラスボス柳生宗矩。


巽門の石垣跡。大きな礎石跡もあります。
昭和20年まであったとの事なので、空襲か、敗戦により解体のどちらかなのではないでしょうか。
※枡形門とは・・城の入り口の形式の一。
城門の内側に L 字形の城壁を設け、あいている辺に城門を構え、曲輪内にはいるのに二つの門を通るようにしたもの。
仙台城へ徒歩で登城したのは3回目であった。
この城は山城好きの人には是非徒歩で登城してほしいなあと思います。
政宗の思いを感じながら、登るととても楽しいです。
車で本丸よりもこちらをおススメします。

長沼は広瀬川から水を引っ張っているようです。

仙台城攻略する場合はこの堀に筏を浮かべて、火縄をよけながら上陸しないといけない。


仙台城絵図、本丸は鉄壁の守り。河岸段丘で出来た高い天然の壁を登るのは難しいと感じる。

この仙台城絵図から、広瀬川から本丸を攻略するのは不可能に近い。巽門、子ノ門を破って侵入するというのは通常の作戦なのだろう。
あと気になったのは片倉景綱、または重綱の屋敷が大橋の手前にある。広瀬川を渡らせないという任務が片倉家のミッションなのだろう。
小十郎はやはり、信頼されていると感じる。ほかの家臣、原田家、茂庭家は大橋を渡る前の、今の片平、仙台神宮や、裁判所あたりに屋敷がある。とても不思議である。大手門前には登米伊達家、水沢伊達家の屋敷がある。登米伊達家は白石宗直のが伊達性をもらい一家になった。水沢伊達家は留守政景の家、のちに伊達姓を許される。登米伊達家が留守政景よりも奥にあるというのはどういう事なのか。
これも少々不思議に思う。
仙台城は徒歩で登城すると政宗が何を考えていたのかが、うっすらと感じる事が出来ます。うん、この城は有事を想定して作っていると感じますね。
