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2025/09/09 16:12
三の丸から隅櫓大手門方面へ

当時は全国でも屈指の大きさを誇った大手門がありました。
幕府などの正式な使者はこの大手門から入場するそうです。あの松尾芭蕉が大手門から入ったという目撃情報もあったようです。昭和20年の仙台空襲で焼失しました。一説に名護屋城の城門を移築したとありますが、実際は似せて造ったというのが正しいようです。



大手門跡すぐ右側にある支倉常長の像。

本来は支倉長経というのが正しいようです。
常長と呼ばれているのは本人は知らないそうです。

後世に脚光浴びるとは絶対に思っていないはずですよね。
支倉常長(1571–1622)は伊達政宗の家臣で、江戸時代初期にヨーロッパへ渡った武将です。1613年に政宗の命を受け、スペインやローマへ派遣され「慶長遣欧使節」を率いました。サン・フランシスコ・ハビエル以来の本格的な日欧交流を担い、ローマ教皇パウルス5世にも謁見しました。帰国後はキリスト教禁教政策により冷遇されましたが、日本と西洋の文化交流の象徴的存在として評価されています。
