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2025/09/24 15:48
政宗は42歳にして従4位陸奥守となり、二代将軍秀忠から松平姓を許された。
これまでの政宗の官位、官途は・・
従五位左京太夫⇒侍従兼越前守⇒従四位右近衛少将兼越前守⇒右近衛少将兼陸奥守。
この先は参議、中納言となる。
政宗の手紙に大崎少将と書かれているのはそういう意味であった。
秀吉からも羽柴姓をもらっているので羽柴長井侍従、羽柴大崎少将などとも名乗っている。
長井とは現在の米沢地方の事であり大崎は現在大崎市、政宗の居城、岩出山城がある地域の事である。
松平陸奥守政宗とは・・
松平は徳川の旧姓で、徳川家と同族になったという意味。
政治的な部分としては羽柴の家臣から徳川の家臣になり、幕府の一員ですよという意味合いが含まれている。
松平陸奥守とは・・
有力大名や譜代大名で松平姓を名乗る大名はかなり多い。
松平の誰かを特定するのに官途が決めてとなる。
松平薩摩守といえば島津氏の事であり、陸奥守は政宗と特定される。
そして官途は家格によって決められている。
家格とは大名が就ける官位官途の上限、江戸城内での座敷の位置、名乗りの制限などがある。
関ヶ原で西軍よりについた佐竹義宣。
秋田へ改易後、家康から正式な石高は伝えられなかった。
ゆえに江戸城での座敷の位置がわからず、うろうろして歩いたそうだ。
自分の座る位置がわかならい。なんという屈辱であっただろう。
政宗は佐竹義宣にいろいろとちょっかいを出している。

