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2025/10/01 16:25
筑前。
天正十六年大崎の役にて軍奉行として出陣。
大崎の本拠地、中新田城を攻めたが降雪と黒川晴氏の裏切りにより伊達勢は敗れる。
松山城まで撤退し、最後まで抵抗する。
この時頼定は殿を務め奮戦したが敵の追撃を受け馬が深田に入り、四釜尾張の兵との戦闘のすえに討ち取られる。
この時六十四歳。柴田郡大河原町小山田の小山田頼定の館跡がある。
墓は宮城県加美郡加美町薬師堂にある。
大崎合戦は政宗の思慮不足により大敗を喫する。
敗れた理由に大将を二人にした事、冬に攻め入った事、黒川晴氏の裏切りとされている。
政宗は黒川晴氏の存在を危惧していたが、悪い予測は的中してしまう。
黒川晴氏の娘は政宗の叔父、留守政景へ嫁いでいる。

