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2025/12/22 12:25
奥州制覇をした伊達政宗。
この奥州制覇を調べていくと政宗の父伊達輝宗。
御爺さんの伊達晴宗。
そして曾爺伊達稙宗の政治が重要になってくる事が最近わかってきました。
よく伊達政宗が20年早く生まれていれば天下を取れた。
など最近の戦国ブームに乗ってこんな事がよく活字になっています。
たしかに器量では織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に劣らないものを持っていると私も思います。
しかし、20年早く生まれていればではなく、伊達政宗の登場に実も20年要してしまったのです。
伊達政宗の曾爺『伊達稙宗』
この人の政治、政略が伊達輝宗、そして伊達政宗の生き様や政治判断に大きく影響を与えていくのである。
伊達家14代『伊達稙宗』
中央政権と結び室町幕府陸奥守護となる。
そして左京大夫に任官。
左京大夫とは本来奥州探題大崎氏が歴代任官する官位である。
簡単いうと大崎氏に取ってかわった事を意味する。
近隣の最上氏や葛西氏、岩城氏などと抗争を繰り返し、少しずつ勢力を拡大していった。
なんといっても14男7女の子供を作り、近隣の諸大名との縁組を成立させ、権威と勢力を拡大していったのだ。
しかし、近隣の諸大名を滅ぼした訳ではなくこれが輝宗、政宗の時代になり問題を複雑化させていくのである。
この政略に嫡男伊達晴宗は従ってきたが、天文11年に問題が発生する。
三男・伊達実元(伊達成実の父)の越後守護・上杉定実への入嗣に伊達晴宗は反対。
そして相馬顕胤への伊達領割譲問題も絡み伊達晴宗と伊達稙宗は対立するのである。
簡単にいうと伊達稙宗が越後守護・上杉定実に優秀な家臣団何百名も一緒に行かせようとしたのだ。
そして相馬顕胤には伊達領を分けてあげる。
伊達晴宗としてはなぜそんな事をする?
伊達家が弱体化するではないか。
という話である。
そんなこんなでついに稙宗は晴宗に捕縛されて西山城に幽閉されたしまうのである。
この手の話はいくらでもある。
武田信玄は父武田信虎を追放。
さらに嫡男武田義信とも今川との同盟破棄での対立。
斎藤道三と斎藤義龍の不和など。
当主の政策に真っ向反対出来る人物は嫡男くらいしか実はいないのである。
なにはともあれ、次期当主伊達晴宗は不安の一掃を行ったのだ。
伊達稙宗は勢力こそ拡大したが、その先を見ていなかったのだ。
いや、早い速度で進んでいく戦国の世の動きについて行けなかったのではないだろうか。
つづく

